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災難を超えて2人目の子供を授かった

私達、夫婦の出会いはsnsサイトのmixiが出会いのきっかけでした。二人とも音楽好きであるために共通の趣味であるヒップホップの掲示板が出会いだったのは今でも鮮明に覚えています。二人とも出身が同じ東北だった為に会話も弾み、楽しい日々を共に過ごしお付き合いする事になりました。

後にこの女性が生涯を共にする私のパートナーになります。付き合い始めて間もない頃はお互いに歳も若く喧嘩が絶えなかったことは自分の記憶に残ってます。初デートの日、私は彼女を迎えに行く為、車を出す事になったのですが、恥ずかしながら私は方向音痴だった為、彼女を迎えに行くのに時間がかかったのは今でも思い出話で多々出る事があります。

付き合った当時、彼女は仕事をやめたばかりで働いていた私からすると仕事をしていない人と付き合って自分にメリットがあるのだろうかと考えたこともありました。しかし、人生の厳しさと他人への思いやりを彼女から学ばされ、私の人生において自分を大きく進歩させてくれる人物となる事は当時の私には想像もできなかったでしょう。

ここからは彼女から学ばされたエピソードをお伝えします。当時の私は20歳と若さもあったのか、他人の気持ちを踏まえず、自分が思った事をすぐに口にしてしまう事が私の悪い癖でした。私自身、その事について悪い事だとは思っておらず自分は正しい事を言っていると豪語しており今思うと職場で嫌われる典型的な人だと思います。

そんな事もあり私は職場の中にいずらい存在になってしまい彼女に相談するとこんな言葉が返ってきました。「そんなの当たり前でしょ。」当時の私には理解できない返答だった為、衝撃的でしたね。

そんな事もあり彼女に人の気持ちを考えるという事を深く教えられました。私達の出身は東北ということを説明させていただきましたが、出会いの地は仙台でした。出会いから3年の月日が経とうとする時期に、世の中の認知度も高い「東日本大震災」を経験することになります。

震災が起きた日、私はトラックドライバーだった為、配送を行なっていました。地震が起き配送を中断し会社へ引き返す事に。会社へ戻る帰り道は自分の想像を遥かに凌駕していました。電線は切れてぶら下がっており、道路は陥没して走れない道もあったため道を選びながら運転しました。

もちろん電線が切れているため信号もついておらず交差点では事故を起こしそうな車両もちらほら見かけました。帰り道に彼女の職場があった為、安否確認も含めて彼女と合流。無事を確認できたので会社へ戻りましたが家庭持ちの方は、すごくソワソワしていました。

震災の直後は携帯電話の回線が混雑していた為に電話が繋がらず家族への連絡手段がなかったからです。時間が経ち辺りは暗くなりはじめた時に仙台に身寄りのない彼女が会社へ来た時、当時の私の上司は「部外者は敷地に入れるな」と私へ言ってきたので、腹が立ち大声で言い返してやりました「身寄りがないのに一人掘っておけって事ですか」と周りも聞いており上司は気まずくなったのか、手のひらをかえし「大変な時期だから仕方ないか」と言い立ち去っていったのは今でも鮮明に覚えています。

そんな災害の時期を乗り越え、私は職場の給料が安い事に耐えられなくなり上京することを決意しました。自分の中では2人で暮らせる位の給料がもらえるようなら、結婚を視野に入れていました。

上京して初月の給料が仙台でもらった最高月収の額を超えており、すぐに結婚を決意しました。その意志を彼女に告げ、その年の11月に入籍し、1月に彼女も上京してきて結婚生活がスタートしました。新婚生活が始まり2ヶ月目で第一子を授かった事がわかり二人で大喜びしましたが、ここから彼女とのすれ違い、ぶつかり合いが始まるのは自分でも思っていませんでした。

原因は彼女のカードの借金。約90万円ほどあり見つけた時は本当にショックでした。今思えば勇気を出して私に打ち明けたのにひどい罵声をあびせた事を後悔しております。その借金は私が肩代わりして事なきをえたのですが、その4年後に引っ越しをする際、クレジットカードの利用明細が出てきて1回目の借金が判明した時にクレジットカードは2度と使わないと約束したのにもかかわらず、また50万近く借金がある事を打ち明けられ、その時から離婚しようかと自分の中で芽生え始めたのは記憶にあります。

しかし、1人目の子がいた為、自分の感情を押し殺し、彼女が正社員への就職が決まっていた為、借金を全額返済自分でするという事を条件に離婚しない事を2人で話し合い決めました。

彼女が正社員になり、家計は潤いましたがお互い忙しかった為にぶつかり合いが多くなりました。そんな最中、近年猛威をふるっているコロナウイルスが原因で更にぶつかり合いが増え遂に私の堪忍袋も限界をむかえ彼女に対して暴力をふるってしまいました。

暴力が習慣化してしまった私は遂には殺意さえも芽生えた時期もあり、彼女から離婚を突きつけられ我にかえり暴力はピタッと止まりました。そんな修羅場をくぐったかいもあり2人目の子も授かり、去年の8月に誕生して今では家族4人仲良く暮らしております。彼女のおかげで人生の苦楽を学ばせてもらい人間的に成長できたと思います。次に何かに生まれ変わっても彼女と一緒になりたいです。

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