2010年03月04日

姶良市と鹿児島市は九州自動車道国道10号線の2つの主要道路で繋がっています姶良市役所から国道10号線を15分程鹿児島市へ車で走った右側に西郷隆盛蘇生の家があります。

鹿児島市吉野町9792 西郷隆盛蘇生の地安政5年(1858年)ときの大老井伊直弼によって一橋派や尊皇攘夷の活動家らを断圧した、安政の大獄が始まりました。また西郷隆盛の最大の庇護者、28代薩摩藩主島津斉彬は公武合体、一ツ橋派の中心人物でしたが5月突然死去しました。
安政の大獄の取り締まりが厳しくなる中、尊皇攘夷派の僧月照が西郷を頼って薩摩に逃れてきました。
しかしながら薩摩藩は幕府の追求を恐れ、月照東目筋送りとしました。


東目筋送り
とは鹿児島市を出発し姶良市加治木町を通過し宮崎市高岡町去川の関を出たところで切り捨てる刑罰でした。
11月16日夜半西郷隆盛はこれを悲観し月照とともに鹿児島湾の竜ヶ水沖で船から身を投げました。

西郷隆盛が打ち上げられた花倉海岸月昭最後の地の碑西郷が助けられた花倉海岸(けくらかいがん)です。右側は月照絶命の碑です。西郷蘇生の家の近くに鹿児島湾を見ながら建っています。




          

西郷はその後同行していた平野國臣らに助けられました、西郷は運よく蘇生しましたが月照は絶命してしまいました。余談として西郷を救命した平野國臣は福岡藩士ですが西郷と交流がありました。平野國臣が詠んだ、‘我が胸の燃ゆる想いにくらぶれば煙は薄し桜島山‘は桜島を詠んだ詩として有名です。

鹿児島市吉野町9792 鹿児島市観光企画課 tel 099−216-1344


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2010年(平成22年)9月14日

安政五年(1858年)大老 井伊直弼による一橋派、尊皇攘夷派への断圧が激しくなる中、尊皇攘夷派の僧 月照が親交のあった西郷を頼って薩摩へ逃れてきました、しかしながら同年五月一橋派の重石、島津斉彬
が急死していたため、薩摩藩は月照を俵屋旅館へ軟禁しました。その後16日西郷と共に鹿児島湾へ身を投げました。


月照上人遺跡之碑鹿児島市 俵屋旅館跡地説明文











月照が薩摩藩により軟禁された俵屋旅館跡地です。


鹿児島銀行本店別館鹿児島銀行本店別館











現在は鹿児島銀行本店別館が建っています。この建物は、鹿児島銀行の前身 第百四十七銀行の建物として大正六年に竣工しました。ルネッサンス様式の当時としてはモダンな建物で平成19年、国登録有形文化財に指定されました。


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2015年3月2日

西郷隆盛蘇生の家です。



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