三重県在住、29歳男性。出張の多い東証1部上場企業のサラリーマンです。私には生後5ヶ月の子ども(男の子)がおります。
妻は栃木出身のため三重からは遠く、こちらで産むのには少々無理があったため、里帰り出産を選びました。
普通の里帰り出産は大体1〜3ヶ月程度だと思います。里帰り出産を選んだ当初は私もそれくらいを想定しておりました。
しかし次から次へと私の長期出張が度重なり、約5ヶ月もの間、妻と息子が帰って来る機会がない、といった状況に陥ってしまいました。
これは中々普通の事ではないと思います。このスケジュールが決まった時、私は落胆しました。
約5ヶ月の期間、ずっと子育てに関わる事ができませんでした。妻にも、向こうの家族にも申し訳ないと思っています。
実際に息子に会う事ができたのも、出張の合間に2回、合計7日ほど。
完全に赤の他人レベルの接触しかありません。これでもなんとか捻出して時間を作り出しました。
そんな私ですが、毎日ビデオ通話でのやり取りは頑張りました。
というか、これしか頑張れる事がなかった、というのが正しいかもしれません。
毎日仕事が終わってホテルに帰るとすぐに夕食とシャワーを済ませ、スマホでLINEを開いて妻にビデオ通話をかけました。
妻もこれにはかなり協力的で、いつもちゃんと電話に出てくれました。本当に感謝しています。
おかげで息子はこちらに来る直前くらいには、画面に誰か人が映ってると認識してはいたと思います。
もちろん、父親と認識はされていませんし、そもそも画面越しに人が映っている現象が子どもには理解できていないと思いますが。
そして迎えに行く日がやってきました。妻が2人での帰省が不安だと言っていたので、電車に乗って迎えに行く事になりました。
日々のビデオ通話の努力が報われるか、ドキドキしながら、私は新幹線に乗りました。
ようやく3人での生活が始まる。そんな想像に心を躍らせながら。
そして久々のご対面。このために3時間以上も電車に揺られましたが、そんな事はどうでもいい。
そう思わせてくれる瞬間でした。何せ、会うのは実に2ヶ月ぶりです。ここまで本当に長かった。
前回会った時よりひと回り大きくなっていた息子に、私は思わず感極まりました。
仕事を頑張ってよかった、そう心から思いました。本当は会社にはもっと子育てに理解を示して欲しい部分もありましたが。
早速抱っこさせてもらえることになり、私は急いで手を洗って、子どもを抱っこしました。
息子は一瞬私の顔を見ると、その時は体を私の腕に委ねてくれました。その時腕に感じた体温は今も鮮明に覚えています。
しかし、ほんの2、3分のうちに泣き始めました。私はあやし方が下手くそで、余計に火に油を注ぐ形に。
なんともいえない気持ちでしたが、渋々妻に引き渡す事にしました。
私自身、赤ちゃんの扱いに慣れていない部分もあったので、抱っこの仕方もぎこちなかったのだろう、その時はそう思いました。
仕事の都合で両親学級にも通えなかったため、赤ちゃんに対する知識も不足していました。
その後、妻に抱っこの仕方や寝かしつけ、沐浴やミルクの飲ませ方も指導してもらいました。
一通り妻の実家で実践してから、次の日に新幹線で三重に帰りました。
お利口な子で、電車内で泣き喚く事は一切なく、これなら自分に対してもすぐに懐いてくれるかな、そう思いました。
三重に帰ってからも、私は可能な限り子どもと接するようにしました。
妻に指導してもらった沐浴やミルクは毎日率先して行いました。
しかし寝かしつけだけは、どうしてもできませんでした。私に抱っこされると数分で泣き出してしまうのです。
これもやはり約半年もの間、顔を合わせてなかった弊害なのかもしれません。
今も必死に子どもとスキンシップを取り続けている私ですが、帰ってきて1ヶ月経過した今でも、やはりまだ寝かしつけだけはクリアできません。
そして子どもは中々懐いてくれない。普段接していても、まだまだ心の距離は感じます。
妻に見せる笑顔も、私には向けてくれない時が多々あります。これには結構参ります。
そしてそこに追い打ちをかけるように、また2週間もの長期出張の予定が入ってしまいました。
その連絡をもらった事を妻に話したら、妻も悲しそうな顔をしていました。
妻もワンオペになってしまいますので、出張で家を空ける間、栃木にまた帰ってもらう事にしました。
これではなんのために帰ってきてもらったのか、わからない状態です。
まだ出張まではあと2週間あります。それまでには、なんとか子どもと関係を進展させたい。そう強く感じております。
仕事から帰ったら徹底的に育児を頑張ります。
仕事柄しょうがないのですが、ゆくゆくは単身赴任の可能性まであるので、これ以上家族との時間が取れないとなれば、転職も検討したいと思います。
我が子の成長過程を少しでも長くこの目に焼き付けたい、そう思うしがないサラリーマンの父親の戯言でした。